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前の記事では、娘の家族と一緒に上高地へ行って、孫たちと一時の涼を味わったお話をさせて頂きました。 そして、ロボットが上高地へは、独身の時代から山登りで訪れていることもお話しましたが、これまではタイトルに記したことへの探究心がわきませんでした。(笑) 今回はその機会に恵まれて、ちょっと調べましたので記事にしたいと思います。 「上高地」の名の由来は、いろいろな説があるようですが、有力な説によれば、どうやらその地形などから来ているようです。 当初の字は、上高地ではなく “上河内”(かみごうち?)と書かれていたようで・・・ 今から280年余り前の享保7年(1722年7月)に、当時の松本城主水野忠幹(みずのただもと)が信濃の国(長野県)の地理や歴史を記録した完全なものがないのを憂い、家臣の鈴木重武、三井弘篤などに命じて編集させた「信府統記」に記されたのが最初だそうで・・・ それによれば、「梓川はその源遥かに北にして、上河内の奥、飛騨の国境白石という所より出て、上河内の山中を南へ大野川まで五里余り流れる・・・」と上河内の文字が出てくるとのこと。 「河内」というのは盆地、すなわち渓谷の小平坦地という意味。例をひくと、小河内ダムで知られる東京都下の多摩川に沿った谷盆地の小河内村(今は町村などの合併で多摩川町)があります。 梓川上流の奥まった平坦地であるところからの「河内」と、穂高神社がこの地に祀ってあったので、「神」は「上」に通じる(崇敬する人、祖先を“上”としてあがめ尊敬した)ことから「上河内」という名で呼称されたのだろうということなのです。 その読み方が後に「上高地」となったそうですが、誰が最初にこの文字を何が根拠で用いたかは明らかでないそうです。 なお、梓川河畔の温泉宿が、いったん中断して、明治37年(1904年)に再興され、“上高地温泉株式会社”(今の「上高地温泉ホテル」)と名乗りをあげたのが、「上高地」の文字を流布した原因となったのではないかと言われているそうです。 前の記事による旅の宿は、この「上高地温泉ホテル」でしたので、意識して付記しました。(笑) |
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